遠藤周作『沈黙』

遠藤周作が『沈黙』に至るまで

1923年、東京府(現在の東京都)に生まれた遠藤周作。
両親の離婚後は、母親と共に伯母のもとに身を寄せることとなる。
この伯母の影響からカトリック教会へ通うようになり、洗礼を受ける。

度重なる受験の失敗、病、父からの勘当、と紆余曲折を辿った後、評論家としてデビュー。
1950年、フランスに留学。
しかし肺結核に倒れ、1953年に帰国。
その直後に、敬愛する母親が急死する悲劇に見舞われる。

その後も執筆活動を続ける遠藤は、1955年、小説『白い人』で芥川賞を受賞。
1957年に発表した『海と毒薬』で、小説家としての地位を確立。
順風満帆に見えたが、1960年、肺結核が再発。
三度に渡る手術を受け、一時は危篤状態にまで陥った。

この病床で、死と向き合い、自らの人生を反芻する中、人間の弱さを担い、受けとめるイエスを発見する。
さらに、自身の孤独と苦しみを、迫害下のキリシタンに投影していったことが
小説『沈黙』の執筆につながったと考えられる。

『沈黙』に見る遠藤周作の信仰とは

「この小説を書きあげることが出来たら、もう死んでもいい」
そう思うほどに遠藤が全存在をかけた小説『沈黙』。

「日本宣教の責任者・フェレイラ神父が迫害に屈して棄教した。」
その報を受け、彼を師と慕う二人の若き司祭が、真相を確かめるべく日本に向かうくだりで始まる。

現在では世界20カ国語以上に翻訳され、
その出版から50年を経た今年、映画化され話題となったが、
1966年の出版当初は、司祭が踏み絵を踏み棄教するという内容に、
教会指導者から強い非難を受けた。

しかし、殉教者については多くの記録が残されているのに対し、
殉教者になれなかった人々、つまり無数の棄教者たちの記録がほとんどないことに、
遠藤はキリスト教会の問題を見た

弱さと恐れ、自らの限界から「棄教者」となった人々。
教会が関心の外に置いた彼らに、無関心ではいられない・・・

惨めさと悲しみ、不条理の果てに言葉を失ったところで
初めて聴こえてくる、十字架の言葉を描く『沈黙』。
山根道公氏は「この作品は遠藤周作の信仰告白」と語る。

そしてこれは、日本のキリスト教会とキリスト者への問題提起でもあるのではないだろうか。