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小学生の時に遠藤と出会い50代の今日に至るまで何度も「沈黙」を読み、そのたびに新鮮な気付きを与えられました。
私の受洗は遅く40代ですが、「沈黙」との出会いが決定的な布石となっていたことは間違いありません。

私は、受洗後も信仰者であることをあまりオープンにしていないのですが、それは自分が「沈黙」の世界を卒業していないからかもしれないと思うことがあります。日本のキリスト者は周囲から迫害を受ける・・・という漠然としたイメージがあるのです。現実には不条理な迫害などを受けたことはない・・にも関わらずです。もちろん、教会の中やクリスチャンの集まりではそんなことはないのですが・・・。このことを考えること自体に結構な罪悪感があります。

その昔「赤信号、みんなで渡れば恐くない」とありました。もし今の時代に踏み絵があり、自分がそれを目の前にしたら、「そんなものは偶像崇拝だ」とか適当に理屈をつけて、さっさと踏んでしまうような気がします。実際に声高にキリスト教批判をしている人の横で、関わりない風を装っていたことは何度もあります。それなのに、自分の窮地にあっては、みことばを足の灯火にして救いを必死に祈っているのです。

こんな私はキチジロウーそのものであることに、今回映画をみて気づかされ、強い共感を覚えるようになりました。そしてまた、こんな自分をもイエス様は許して下さる、とも思っているのです。
(きちキチジロウ様)


この映画を見て一番心に残ったことは、映画の終わりの方で宣教師フェレイラがロドリゴに言った「あなたが一番大切にしているものを棄てるのだ」という言葉です。ロドリゴは棄教しましたが、心の中までは誰にも侵せないと思います。外から見ればロドリゴは棄教したように思えますが、心の底からイエス様を棄てたとは思えません。

そして、そのロドリゴのことをイエス様が非難や否定されたとは思いません。イエス様は、ロドリゴが棄教したあと寡黙になり、信仰のことは人生の最後まで一切口にしなかったとナレーターが語っていましたが、ロドリゴのその苦しみや葛藤をご存知であったと思います。そのロドリゴに対してイエス様は深い憐みの眼差しで、優しく見つめておられると思います。

結局人は、心で信じているものを棄てるのは難しいのではないでしょうか。捨てたように見えても、全くそれを信じなくなるということは出来ないように思います。
ただ、私の場合、他の人が苦しんでいるのは見るに耐えないので、すぐ踏絵を踏んでしまうだろうと思います。仮にそうだとしても、それが罪にあたるか迷います。人を思って行った行為が罪に問われるだろうか、と考えるからです。

いずれにしましても、信仰とは、信じるとは、ということについて、深く考えさせられる映画でした。
(K.S様)


山根道公先生のインタビュー「背信者ー聖なる連帯に与りし者」を拝聴しました。
「プライドがあると神の声が聴こえてこない。自分が砕かれていった時、神のまなざしが判る。魂に神の声が届く」という山根先生のお話をうかがい、大変心を打たれた、映画のラストシーンを思い出しました。ロドリゴは、後半生、教会からは離れて(棄てられて?)しまいましたが、神さまのまなざしを感じて生き続けたと思います。だからこそ、スコセッシ監督は、あのようなラストシーンを選んだのではないでしょうか。
(marie様)


映画を観て、踏み絵のシーンで、迫害されても棄教したふりをして、信仰を持ち続ければ良いのに…と思いましたが、だんだんと、なんて深い信仰なのだろう!「ふり」なんて出来ないんだ!と感じました。もし私があの時代に居て迫害されたら…あっさり棄教しているかも…と思いました。先人の方々の生き方に感銘を受けました。
(korin様)