越中井―細川ガラシャ死地

JR森ノ宮駅より徒歩10分、閑静な住宅街の中にある越中公園すぐそばの、細川忠興屋敷跡に行ってきました。屋敷の台所の井戸だったと伝わるものがこの「越中井」。ここはキリシタンとして有名な細川ガラシャ夫人が最期を遂げた場所でもあります。

慶長5年(1600年)、徳川家康が日本の覇権を握る、あの関ヶ原の合戦が起こる直前のことです。この頃、家康はすでにかなりの権勢を誇っており、ライバルの大名を排除しにかかっていました。同年の6月、邪魔な上杉家を討伐するために、味方する大名の兵も大動員して会津へと侵攻します。

かねてより家康一派と険悪であった石田三成は、敵対大名たちの本拠地がガラ空きの今がチャンスと判断し、家康に従う大名の妻子を人質にすることを企てます。ガラシャも夫の細川忠興が家康についていましたから、この細川屋敷を兵隊に囲まれてしまいました。

しかし、ガラシャは三成の要求を頑としてはねのけ、夫忠興の事前の言いつけどおり、人質に成ることを拒みます。

彼女の人生は苦難と忍従の連続でした。明智光秀の娘という血筋であり、細川忠興と結婚したものの、あの本能寺の変が起きてからは、人目を避けるためほぼ幽閉状態。一説にはうつ病状態に近かったそうで、後に高山右近から影響され受洗に至ったのも、藁にもすがるような気持ちでのことだったのかもしれません。

身分を隠しながらこっそり教会に通っていたガラシャですが、伴天連(宣教師)追放令がすでに出ていたこともあり、周りに改宗を公にするのに8年もかかりました。忠興は、偏執的で、怒ったら何をするかわからない性格の人物。この告白を聞いて激怒し、同じく受洗していた侍女の鼻を削いで、ガラシャを脅迫し、信仰を棄てるように迫ったといいます。

深く敬虔なカトリック信仰を持ちつつも、このような圧迫の連続で、離婚を神父に相談するまで追い詰められていた細川ガラシャ。しかし、最期は夫のいいつけに従っていきます。

”散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ”
(花も人も、散り時を心得るからこそ美しい)

この句を詠み、自殺を避けるため、家臣の小笠原小斎に刀で胸を突かせて召されていきました。

この事件を、世間を敵に回す大失態と捉えた三成は人質計画自体を中止。結局、関ヶ原合戦は、会津から引き返してきた東軍・家康方の勝利に終わり、その後の日本に大きな影響を与える事となりました。

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***取材後記***
実は一番上の石碑の側面に、ガラシャの辞世の句が掘られていたそうなのですが、そうとは知らずにうっかり写真を撮りそこねてしまいました。
それにしても、時代の波に翻弄され、夫の言いつけに従い最期を遂げた彼女ですが、この句には、静かに死を受け入れる姿と同時に、何か積極的に死に向かう凛々しさのようなものを感じます。
「散りぬべき時知りてこそ世の中の 花も花なれ人も人なれ」

悲劇に見える彼女の人生ですが、ひとすじの道を貫き通し、命をささげた最期だったのではないか…。
この句を読みながらそんなふうに思いました。

***ご案内***
越中井―細川ガラシャ死地
〒540-0003 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央2-12