サント・ドミンゴ教会跡資料館

長崎市にある教会跡を保存した資料館です。
多くのキリシタン史跡が立て看板一つ、石碑一つというような形でしか継承されない中、
ここでは発掘された遺構がそのまま展示してあり、日本では類を見ない施設となっています。

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教会名の「サント・ドミンゴ」を、日本の慣用的な表現にすれば、「聖ドミニコ」となります。
その名の通り、ドミニコ修道会のフランシスコ・デ・モラーレス神父が指導して建築したものですが、
実は、もともと、この教会が建てられたのは、長崎ではなく薩摩であり、
187殉教者の1人、薩摩最初の殉教者でもあるレオ税所七右衛門敦朝が受洗をした教会でもありました。

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レオ税所七右衛門が受洗したのは慶長13年(1608)の7月22日。
島津氏に連なる主家の北郷家は、とうに家中へキリシタンの禁止令を出していましたから、
周りが、表向きだけでも棄教したように見せろというアドバイスを彼にしていたようです。
しかし、それをよしとせず縄を受けた、レオ税所七右衛門。
切腹を求められましたが、自殺する事を望まず、自ら十字路を選んで、そこで斬首されたと伝わっています。
それが、同年の11月17日というのですから、驚くべき話です。

加えて翌年には、薩摩からの完全な退去がドミニコ会に命ぜられたために、
もともとの教会を解体して、長崎に移築する事となります。
レオ税所七右衛門の遺骨もこの時に一緒に運ばれたらしいのですが、
その後マニラに移され、地震で喪失したと伝えられています。

そして、慶長19年(1614)。禁教令が出たために、
移築からわずか5年で教会は破却。
跡地には代官屋敷が立てられたと説明されています。

***取材後記***

猛暑の中を歩きに歩いてようやくたどり着いた、この教会跡。
この場所は、桜町小学校の敷地の一角にあるのですた、小学校では運動会の真っ最中でした。

入口をくぐると、意外に広い遺跡跡にびっくり。
「この面積いっぱいの聖堂?」
ということをイメージすると、ずいぶんと大きな聖堂だったと想像できます。

と同時に、当時の日本でそれだけの建築物を建てることが出来た経済力がそのころの教会や修道会にあったということを思うと、
キリシタンの勢いの強さと同時に、それが権力者に恐れられた理由の一端も分かるような気が…。
特に、教会跡地が代官屋敷にされたということには、何やら政治的な意図が見え隠れする、というようなことさえ想像されてしまいます。

ともあれ、たとえ一時であれ、この地に日本宣教の本部の一つがあったということは間違いありません。
時代がキリシタン弾圧に向かう中で、当時の宣教師たちはここで何を見、考え、祈っていたのか。
タイムマシンがあれば、当時に行って伺ってみたい。
そんなことも思った取材でした。

***ご案内***
サント・ドミンゴ教会跡資料館
〒850-0028 長崎県長崎市勝山町30‐1(桜町小学校内)