五島列島を訪ねてーその3

長崎港から西に100㎞あまりに浮かぶ五島列島。
江戸時代の後半に、弾圧を逃れるため大勢のキリシタンたちが移住したと伝わっています。
明治に弾圧は再び繰り返されますが、1873年に禁教の高札が取り除かれると、
信徒により、およそ50もの教会が建築されました。

今回は、お訪ねした教会・史跡をいくつかダイジェストでご紹介いたします。

(※教会見学には事前連絡が必要な場合がございます。
もし、お出かけの際には、お調べ頂いた上ご訪問下さいませ。)


カトリック浜脇教会

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現会堂は昭和6年(1931)の献堂。久賀島の中心的教会です。
元治2年(1865)の「信徒発見」を期に、この久賀島でも信仰を公に言い表す人々が現れました。
これを看過できぬとした幕府による弾圧は厳しく、
総計42名の死者を出す、「久賀島牢屋の窄殉教事件」が引き起こされました。

***ご案内***
カトリック浜脇教会
〒853-2173 長崎県五島市田ノ浦町263

旧五輪教会

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建物は明治14年(1881)浜脇教会として建てられた木造会堂を、
昭和6年(1931)に移築したものです。
一時は、新会堂建築の際に取り壊しも検討されましたが、
保存を強く望む声が挙がったため、現在もその姿を遺しています。
平成11年(1999)には国の重要文化財としても指定されました。

***ご案内***
旧五輪教会堂
〒853-2172 長崎県五島市蕨町993-11

カトリック牢屋の窄殉教記念聖堂

現在の会堂は、昭和59年(1984)献堂。
久賀島で起きた悲惨な殉教を記念する教会です。

五島列島における一連の弾圧事件、「五島崩れ」。
その中でも特に最初期に引き起こされたのが
この「久賀島牢屋の窄殉教事件」です。

中央に仕切りが敷かれたわずか12畳の広さの牢屋の中に、
220人余りが無理やり押し込められ、(つまり1畳に18人ほど…)
それに加えて各種の熾烈な拷問を加えられたと伝わっています。
一般信徒は8ヶ月、指導的立場の人間は加えて2年の期間にわたり監禁され、
総計42名の死者を出しています。

***ご案内***
カトリック牢屋の窄殉教記念聖堂
〒853-2171 長崎県五島市久賀町大開