山口サビエル記念聖堂

日本史の教科書にも出てくる有名人「フランシスコ・ザビエル」ですが、
こと縁の深い山口県はザビエルではなく、サビエルと表記する慣習があります。
この「サビエル記念聖堂」も濁らない表記が正式なものです。

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いごよく(1549)広まるキリスト教。
みなさんも語呂合わせでこの数字を憶えたのではないかと思いますが、
ザビエルが鹿児島に上陸して、初めて日本の地を踏んだのがこの年。
山口で最初に教会を建てたのは天文20年(1551)の事でした。
その年から400年ということでそれを記念し、
昭和26年(1951)に建てられたのがこの記念聖堂です。
(現在の建物は新会堂として再建されたものです。)

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ルイス・フロイスの「日本史」によれば、
満足な布教が叶うまでの道のりは相当厳しかったようです。
当初ザビエルは日本の中心たる京都にぜひ教会を、と思っていたのですが、
あまりにも政情・治安が不安定であり、
そこを統治するはずの天皇にも、将軍にも全く求心力がありませんでした。
ザビエル一行もその旅路の中で
命を失いかけることも度々だったと記されています。

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最終的に、山口の大内義隆との謁見の中でようやく布教の許可を得たザビエルでしたが、
意外にも、彼が日本にいたのはわずか2年の間だけでした。
7月に宣教の許可を得てから、すでに11月には後継を託して海を渡っているのです。
しかし、その間に授けた洗礼の数は500を超えたと記されています。

彼らの宣教がどのようなものであったか、
上掲写真の「井戸端で説教するフランシスコ・ザビエル」像に解説がありました。
抜粋してここにご紹介致します。

「ザビエルは修道士ジョアン・フェルナンデスと毎日二回、
山口の大殿小路という通りに出かけそこにあった井戸端で、
集まってくる人々に向かい、教理の書を読んだり、説明したりして布教した。
あらゆる階層の人が集まって来たが、その数は大変なものであった。
それにも関わらず、わずかしか成果があがらないのを見て、
ザビエルはこのことがいくらか心配になった。
しかしまもなく主は全く思いがけない時に彼の心を慰めたもうた。

すなわちフェルナンデスがいつものとおり説教をしていると、
一人の無礼な男が通りかかり修道士を罵倒し始めた。
そして彼のそばに寄って顔に痰を吐きかけ、
高笑いとあざけりの言葉を浴びせながら立ち去った。
フェルナンデスは動揺したり、怒ったりした様子を少しも見せず、
始めた時と同じ平静さで説教をつづけた。
聴衆の中に身分のある一人の日本人がいた。
彼は説教で聞くことを誹謗しようと思ってきたが、
修道士が自分の対面など全く気に掛けないことに驚嘆した。
そして修道士が崇め説いている神こそまことの神であり、
その神こそ信じ尊ぶべき神であることを理解したのである。」

彼がいたのは本当に短い期間であったかもしれません。
しかし、彼らの神さまの前にへりくだった心が、
大きく実りを付けたことを思います。

***取材後記***

当日は、あいにくのどしゃ降りの雨。ということで、あまりゆっくりと外は見られなかったのですが、この聖堂の地下にある記念館を見学することが出来ました。写真撮影は禁止されているので、みなさんにご紹介できることは限られてしまうのは残念ですが、ザビエルが当時の伝道の様子を本国に書き送っていた手紙など、数々の貴重な史料から、当時の人々のいきいきとした生活が浮かび上がってくるようで楽しくなって、ついつい長居をしてしまいました。
高く評価されることの多いザビエルはじめキリシタン時代の伝道ですが、ザビエルの伝道も、当時のザビエルにとっては、苦難と試行錯誤の連続だったようです。今日の私たちの教会と同じかもしれませんね・・・

***ご案内***
山口サビエル記念聖堂
〒753-0089 山口県山口市亀山町4-1