津和野・乙女峠―浦上キリシタン殉教地

島根県の津和野町。ここにある乙女峠は、
日本の殉教史の中でもひときわ重要な場所です。

キリスト教の禁制が長らく敷かれていた近世日本ですが、
隠れキリシタンが多く住んでいた長崎の浦上村での検挙・弾圧は、
特に「浦上崩れ」としてその名を歴史に遺しています。

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今回お訪ねした乙女峠は、その「浦上崩れ」の中でも最後に起こった、
慶応三年(1867)の「浦上四番崩れ」にまつわる土地です。
捕縛されたキリシタン達が、明治政府によって改宗するように迫られ、
果ては火炙りなどの激しい拷問を受けて、多くのキリシタンが殉教していきました。

浦上村からは3000人以上が全国に流されましたが、ここ津和野乙女峠では
年端もいかない子供を併せて総計で153名のキリシタンが収容され、
最終的にはその内の36人が殉教したと伝えられます。

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その中でも初期に殉教した、安太郎という人物がいました。
彼が掛けられた拷問は「三尺牢」(三尺は約100cm)という
とても狭い木の檻に裸で押し込め、雪の降る屋外に放置するというものでした。
立派な人物として尊敬されていた安太郎が転宗すれば、
他のキリシタンも気落ちして後に続くだろうという作戦でしたが、
彼が役人たちの説得に彼は応じることはついにありませんでした。

安太郎が投獄されてから7日経ちました。
彼の身を案じたキリシタン3人は牢から脱出し、三尺牢を密かに訪ねるのですが、
そこで彼らは安太郎から驚きの言葉を聴きます。

「私はこの三尺牢屋の内にて淋しゅうはござりません。
九つ(午後12時)より先になりますれば頭の上に青い着物に青いきれをかぶり
サンタマリア様の御影の顔立ちに似ております御婦人がお現れ下さる。
その人がものがたりをいたして下さる故、少しも淋しゅうはござりません。
けれ共、このことは私の生きておるまでは人に話しては下さるな。」

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過酷な環境の中で、すっかり衰弱してしまった安太郎は
その後、30歳で殉教していきました。
しかし、彼の体験は残されたキリシタンたちを
大きく力づけるものとなったと伝わっています。

欧米の猛烈な抗議により、宗教弾圧が停止され、
浦上の信徒たちの帰郷が叶ったのはそれから4年後の事でした。

***取材後記***

訪れたのはまだ寒い季節のはずでしたし、ここを現場として起こったことは、凄まじい拷問と殉教、そして棄教という辛い出来事。
それにも関わらず、妙に穏やかで暖かい空気が流れているように感じました。ここに幽閉された信徒たち同士は、誰か一人の転んだ者があったときには、残りの幽閉されているもの全員が執りなして祈り、転んだ者もまた、すぐに悔い改めの祈りをし、隠れて囚われている仲間たちのことを祈り続けた。そればかりか、身の危険を顧みず、こっそり食糧を届け続けた。生き残ったキリシタンたちは解放されると、すぐに、転んでしまった彼らをおゆるしくださいと教皇庁に手紙を書いた。拷問した者たちもその姿に神を知り、後にこの人たちは本当に神の子であったと告白した。。。
こうした赦しと和解の現場でもあった。そうした数々のエピソードもまた、津和野の殉教地では知ることができます。
「生きることはキリスト、死ぬこともまた益」(フィリピ1:21)――この現場の土を踏んだとき、十字架は、やがて来る復活の喜びなのだと、そう信じますと、自分の中に湧き上がる信仰の喜びを感じていました。
***ご案内***
津和野・乙女峠
島根県鹿足郡津和野町後田