地下鉄烏丸線、今出川駅から徒歩10分ほどの小さな十字路に、慶長天主堂跡がありました。
慶長天主堂とはその名が示す通り、慶長年間(1596〜1615)に建てられた礼拝堂です。
一説には、慶長9年(1604)とその建築時期は伝わっています。
豊臣秀吉の死と関ヶ原合戦により、慶長5年(1600)、天下が徳川家康のものとなりましたが、
キリシタンたちにもその影響は大きく、新しい政権・施政の下で
豊臣時代に比べて、わりと自由な信仰生活を送ることが出来るようになりました。
この礼拝堂はそのような時代に、また増加し始めたキリシタンのために建てられた会堂です。
今はもはや何も残っておりませんが、立派な会堂が当時は建てられていたらしく、
以前存在した南蛮寺を優に超える美しさであったと伝わっています。
しかし、状況はまたも一変。
再び許可された布教のもと、毎年100人以上の受洗者を出していましたが、
慶長17年(1612)、徳川幕府の方針転換により、またもキリシタン弾圧が再開。
この会堂も例外ではなく、幕府によって焼き払われてしまったと伝わっています。
***取材後記***
今出川駅を出てほどなく、同志社大学継志館という立派な建物がありました。
その前の細い路地をまっすぐ進んだ所、住宅街の中にひっそりと立つ石標。
キリスト教が認められたと喜んだのもつかの間、わずか10年で再び弾圧…。
当時の為政者に翻弄されたキリシタンたちの思いは、どんなものだったのでしょう。
しかし、その信仰の灯が絶えることなく受け継がれてきたからこそ、
今があるのだと改めて思いました。
***ご案内***
慶長天主堂(上京教会)跡石標
京都府京都市上京区油小路通元誓願寺西南角