南蛮寺跡石標

阪急京都線烏丸駅、地下鉄四条駅から徒歩7分ほどのところにある南蛮寺跡を訪ねてまいりました。

京都でのキリスト教布教が本格化したのは、
イエズス会の宣教師、ガスパル・ヴィレラが永禄2年(1559)に入京してからでした。
彼が時の将軍足利義輝に謁見し、布教の許可を得て、
この礼拝堂を建てたのは永禄4年(1561)の事です。

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例えば、ルイス・フロイスの「日本史」には、
京都での布教に際し数々の困難があった事が記されていますが、
畿内が織田信長の統制に入ると状況が一転し、大きく保護と優遇を受けることとなります。
一説には、既存の寺社勢力に対抗するためともいわれるこの保護策ですが、
天正4年(1576)には古くなった会堂を、数百人の信者と、
当時の京都所司代である村井貞勝が協力して再建したと記録に残っています。
また、ここで行われたミサには、高山右近一族も訪れたとも記されています。

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しかし、時代は移り変わり天正15年(1587)。天下をほぼ掌握した豐臣秀吉は
統制を強めるために伴天連(宣教師)追放令を宣言。
この南蛮寺もその際に破却されてしまいました。

なお、現在この礼拝堂の遺物は同志社大学に保管、収蔵されています。

***取材後記***
駅から徒歩7分のはずでしたが、なかなか見つけられず…
10分ほど近辺をうろうろして、やっと建物の壁に隠れていた石標を発見しました。

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駅の周辺は大きなビルが立ち並び、周辺は飲食店などで賑わう中、
追いやられるように壁際に残された石標。
三階建ての壮麗な建物だったという南蛮寺の姿はありませんが、
追いやられても、なお信仰を貫いた当時の人々の姿に思いを馳せつつ、帰路につきました。

***ご案内***
南蛮寺跡石標
京都府京都市中京区蛸薬師通室町西入北側

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