妙満寺跡ー二十六聖人発祥の地

法華宗系の仏教、顕本法華宗の総本山である妙満寺ですが、実は何度も移転を繰り返しています。
1583年に時の為政者であった豊臣秀吉が、都市の整理の為に別の場所へ妙満寺を移設。
この「二十六聖人発祥の地」は、その跡地に当たります。
(※写真は現在の妙満寺)
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既に1587年に豊臣秀吉はバテレン追放令を出していたのですが、
1594年に平戸へフィリピン総督の特使としてやってきた、ペトロ・バプチスタ神父と会見します。
妙満寺の跡地は、宣教師の熱心な布教活動により、
すでにキリシタンが多く住む「だいうす(デウス=神)町」の一つとなっていました。
それは秀吉にも周知のものとなっていたのでしょう。
会見の後、彼らにその土地を与え、その活動を認めるのでした。

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許可を得た京都のキリシタン達は、この地に修道院や病院を建て盛んに活動をします。
なお、このレリーフが設置されているのは、京都四条病院の壁ですが、
過去この地に病院があった事の流れを汲んでいるのではないでしょうか。

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しかし、そんなキリシタン達の熱心な行いのさなか、あのサン・フェリペ号事件が起きてしまいます。
浦戸に遭難したスペイン船の乗組員が積み荷没収に強弁に抗議した事が発端と様々言われていますが、
今の所、定説を見るに至っていません。ともかく、秀吉はこの事件を境に、再び激しい弾圧を開始。
あの許可を与えた会見から、わずか3年しか経っていませんでした。

バプチスタ神父を初め、26人のキリシタンはここで捕縛され、
そして長崎で殉教してゆくことになるのです。

***取材後記***

実は現在の妙満寺の写真があるのは、完全な事故なんです。
この病院があるのは、京都市中心部。「跡」っていう字を見落として、京都駅からわざわざ地下鉄の一番端の駅から20分歩いて到達する現在の妙満寺に行ってしまったんです(笑)。

現地では、病院の周りを3周。この石版、実は結構小さくて・・・^^;通行人の方や患者さんからは、きっとあの人病院の壁の写真なんて撮って何してるんだろう?って思われたに違いない・・・。

今もたくさんの車が行き来する京都の中心部。当時も、にぎわっていたであろう京の都に思いを馳せました。神様の導いてくださった大切な歴史の中に、この私も生きている。そんなことを感じて、帰り道、一歩一歩に緊張感を覚えていました。

***ご案内***
妙満寺跡
京都府京都市下京区四条堀川町272−6

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