昆陽山地蔵院(椿寺)ーキリシタン墓

京福電車北野線「北野白梅町駅」下車して徒歩4分。昆陽山地蔵院、通称「椿寺」を訪ねました。ここにはキリシタンの墓とされている墓標があります。

このお寺の歴史は古く、神亀3年(726年)に聖武天皇の勅願によって僧・行基が創建したと伝わっています。
京のお寺には往々にしてあることですが、戦火などにより移転を繰り返し、現在の地に寺を構えたのは、安土桃山時代の天正年間(1573〜92年)でした。

なぜ「椿寺」と通称されているかといいますと、その名の通り寺内に椿の木、「散り椿」が植わっているためです。もともと椿といえば、花が首から落ちるために不吉であると、武士からは人気の無かった植物でした。しかし、加藤清正が文禄の役(1592~93年)の際に、豊臣秀吉に献上するために朝鮮半島から持ち帰ったこの「散り椿」は、花びらが一枚づつ落ちるという珍しい種でした。人々に広く名樹として賞賛され、通称として今もその名を留めているという経緯があります。
なお、一代目の椿は惜しくも1983年に枯死してしまっており、現在は2代目の樹が植わっています。(※取材日は2月の初めで、残念ながらまだ椿は咲いておりませんでした。)

さて、肝心のキリシタン墓ですが、その素性はハッキリとしておりません。手水鉢(ちょうずばち、手を洗い口をすすぐ水を入れておく鉢。寺社の入り口に置いてあることが多い)として長らく使われていたものが、実はキリシタンの墓碑であった事が判明し寺に納められたという話が伝わっていますが、残念ながら史的な真贋は分かっていません。
しかしながら、かつて京都の町にいかに多くのキリシタンたちが生活し、周りの人々に影響を与えていたかを今に伝える史跡の一つとなっています。

***取材後記***
これまで個人的にいろいろなキリシタン史跡をめぐってきましたが、キリシタン史跡って、結構街の中心部から少し離れたところにひっそり・・・しかも、地元の人ですらよく知らない・・・ということが多いので、道に迷ったり革靴じゃ辛いという場所だったりすることがよくあるんです。
今回は街の中の小さなお寺なので、結構油断していました。

今回も、お寺まではスムーズに辿り着いたのですが、こちらのお寺にはいわゆる檀家さん?のお墓がたくさんあるんです。
この墓石、自分の膝下くらいのサイズなので全然どこにあるかわからなくて、結局15分位でしょうか、お寺中をまるまる3周はまわってようやく発見しました。到着した時には汗びっしょり。

立て札がなければおそらく永遠に発見できなかったであろうこの墓石にはもともと十字架が刻まれていたのが、くり抜かれてしまったのではないかということです。
今となっては「ここにある」ということしか分からないのですが、でもこのお墓に記念されている方の信仰は、たとえ人間が石を削りとってしまっても確かにここで火を灯し続けていて・・・

石は何もしゃべらないのですけど、「あなたがどんなに見えるものを恐れていても、あなたの信仰はずっと消えないのだ、神様はたしかにあなたを知っているのだ」と天国から語りかけられているような、祈られているような・・・そんな不思議な交わりが持てたような気がしました。

***ご案内***
昆陽山地蔵院
〒603-8332 京都府京都市 北区大将軍川端町2