大徳寺高桐院―細川ガラシャ墓所

京都市営地下鉄烏丸線「北大路駅」から徒歩15分。細川ガラシャのお墓がある、大徳寺高桐院を訪ねました。

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実は、細川ガラシャの墓は複数箇所あります。
現代日本の感覚からすると、その人の遺骨が埋まっている所イコールお墓というイメージがありますが、
江戸時代に入るまでは必ずしもそうではありませんでした。

今回訪ねた墓所も、あくまで供養を目的に建てられており、
夫の細川忠興が、茶道の師である千利休から、遺品として譲り受けた石灯籠が墓標となっています。

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慶長5年(1600年)の細川屋敷での悲劇の後、細川ガラシャの遺骨は、
当時近畿で宣教活動を行っていたオルガンティーノ神父によって
初めは堺のキリシタン墓地に葬られたといいます。
そして、1年後には、あれだけキリシタン嫌いであった忠興が
なんと神父に記念のミサを開く事を依頼し、大坂の墓地に改葬。
江戸幕府に豊前・豊後の地を与えられてからも、
妻の命日には毎年小倉城下で大規模なミサを行わせたと伝わっています。

しかし、忠興本人が信仰を持つことはついにありませんでした。
幕府による禁教令が強まると方針を一転し、領内で大規模な弾圧を開始。
加賀山隼人などの多くのキリシタンが、殉教の道を歩む事になりました。

ここ高桐院は、慶長7年(1602年)細川忠興自らの創建。
忠興とガラシャは同じ墓に供養されています。

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***取材後記***
門をくぐると広がる竹林。いっぺんにこの空間の雰囲気に引き込まれます。
このお寺を建てた細川忠興という人は武将としても成功しつつ、
千利休からも相当目をかけられていた文化人。
今で言うと、一流商社本店の部長でもあり、かつアートについても玄人はだし、みたいな人なんでしょうか。
そんな、細川忠興のセンスを感じられる場所。

その一番奥に、細川家のお墓があり、伺った時も、お線香の香りが漂っていました。
予想よりもはるかにこじんまりとした墓所。
「兵どもが 夢の跡」
そんな言葉が、思い浮かんだ取材でした。

***ご案内***
大徳寺高桐院
〒603-8231 京都府京都市北区紫野大徳寺町73