元和キリシタン殉教の地碑

京阪・七条駅6番出口を出て、鴨川沿いを歩くこと5分、元和(げんな)キリシタン殉教の地碑に行ってきました。
道路の向こう側にあるのがそれなのですが・・・

よーーーく注意していないと見過ごしてしまいそうなほど、ひっそりと佇んでいます。
でも正面から見ると確かに「元和キリシタン殉教の地」と。

実はここ、元和年間(1615〜1624年)に江戸幕府による徹底的な弾圧によって引き起こされた「元和大殉教」の殉教地の一つなのです。
高山右近がフィリピンのマニラに流されたのもこの元和年間の初めであり、全国的な禁教令が本格化した時代でした。

当時の京都所司代の板倉勝重(大岡越前のモデルとも言われています。)は、京のキリシタンの活動を黙認していましたが、幕府の命令により、元和5年(1619年)に弾圧を開始。数カ月かけて京中の信者を投獄しました。

そして同年10月、ついに52名のキリシタンが火炙りの刑に処せられました。この中には司祭や修道者はおらず、全員が一般信徒。2歳の幼児を含む11名の子どもたちもいました。

また、殉教者の中には、橋本テクラという婦人がいました。
テクラは身重の体で3歳、8歳、11歳の子供と同じ十字架に付けられ、火をかけられました。天国での再会を誓い子どもたちを励ましながら、「イエス、マリア」と叫び息絶えた彼女でしたが、召されてもなおその腕は子供を堅く抱いたままでした。

この光景は、当時京にいたイギリス人商人のリチャード・コックスにより手紙に記録されています。

「私は京都にいた時、信仰を棄てないという理由で、キリシタンたちが殺されるのを見ました。彼らの中には母親の腕に抱かれた小さな子どもたちもいました。母親たちは『主イエスよ、この子供たちの魂を受けてください』と叫んでいました。」

この橋本一家はベネディクト16世により2007年に列福が承認され、今では高山右近と同じ、「福者」として認定されています。

***取材後記***
この日はとても良いお天気で、鴨川では鴨が日向ぼっこ(?)をしている光景も。

こんなのどかな情景のすぐ脇で、400年近く前、このような壮絶な死を遂げたキリシタンたちがいたこと、今までまったく知りませんでした。
ほとんど人目につかないほどひっそりと立つこの地碑。けれども、キリストに命をささげた人々の証しを後世に遺さなければとの思いから立てられたのかと思うと、身が引き締まる思いがします。

***ご案内***
元和キリシタン殉教の地碑
〒605-0991 京都府京都市東山区上堀詰町292